日常を、考えるブログ

ゆるふわを卒業すべく、色々考えてみるブログ

「自分から見た自分」と「他人から見た自分」がかなり違って驚いた話。

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こんにちは。きょんです。

 

「自分にとっては普通のことをしてるのに、他人にめちゃくちゃ驚かれた!」

そんな経験ありませんか?

例えば、
「おかしいと思ったことに怒ったら、『あなたが怒るなんて!』と驚かれた」
とか。

他にマンガとかでもよく
「不良なのに猫助けてる…!」
とか
「いつもは明るい子が、今日は元気がない…ギャップが気になる」
みたいな話あるけど、これって完全に受け手側のとらえ方の問題ですよね。

不良が生まれた時から一分一秒休まずオラオラしてるわけないし、「いつも明るい子」なんているわけないんですよね。

私が思うことは2つです。


1.思ってるより10倍、大げさに本音で語った方が良いよ

2.人を「こういう人」って枠に勝手にはめるのはもったいないよ

 

です。

そう思ったきっかけは、演劇でした。

 

私は今、演劇をやってるんですが、

「自分を思いっきり出すこと」

を求められるんですね。

自分の思うままに自分を出してやってるつもりでも、心に響く演技する人を見てると、やっぱりレベルが違うんです。

「これが私だ!見ろ!!!」

そんな想いが、全身から出てるのです。

舞台上で表現しよう、って自分で決めた以上、

 

「これで良いのかな…」
自信なさげだったり、

 

「恥ずかしいな…」

 

なんて思ってたら、良い作品も良く見えないし、見ている側が恥ずかしくなってくるんですよね。

演劇の目的は、お客さんに伝えること。

お客さんに届かなければ、作品の存在する価値もなくなってしまうからです。

 

お客さんに伝えるために必要なことは

 

・演じる側に迷いがないこと。
・恥ずかしいとかいう次元を超えて、伝えたいと思うこと。

 

そしてこれは、人生にもそのままつながるなと気づいたんです。

生まれてきた以上、人と比べたりせずに
「これが私だ!!」
って自信満々に生きたらいい。

 

恥ずかしいとか、摩擦を避けたいとか、そんな次元を超える。

「自分の信念」を一番大切にして、やり遂げたい目標を目指せば良い。

むしろそうでないと、自分の人生=作品の存在する意味がなくなってしまうんだと思うのです。

自分を出さずに、人にばかり合わせているのは、人生を無意味なものにしてしまう。

そう考えると、怖くなりませんか。

どうしても
「もっと自分を出して良いよ」
「自信をもって大丈夫だよ」


なんて文脈で語られがちだけど、本当は


「自分を出さないと、人生が無意味になるよ」
「自分を出してると思ってても、人は見てないからその10倍出しても大丈夫だよ」

 

そんな伝え方をするべきじゃないかなって思うのです。

連休は終わるけど、明日から仕事でもプライベートでも、このことを忘れずに生きていきたいなと思う。

 

それでは。